セレンディピティと断捨離

セレンディピティと断捨離って対義語?ってくらいに質も響きも見た目も違います。

 

【セレンディピティ】
ふとした偶然をきっかけに、幸運をつかみ取ること。

【断捨離】
不要な物を減らし、生活に調和をもたらそうとする思想。

 

意味を見ても全く質の違うものの様な気がします。でも結果は幸運と調和なので良いですね。

何より私は元々断捨離が苦手でした。何でそんな勿体ない事をするんだと思っていたのです。これは物を捨てられないというよりも大切な化学変化の可能性を捨ててしまうのか、と。

私は女性らしい持物、例えば服やバッグやコスメはそれはもう平均より持っていない方ですが、元々ものづくりをする人だったので何かと物が多いのですね。材料に石に布にレザーに工具にパーツに…。また、インスピレーションを与えてくれる本、画集などなど。でも別れを告げたものや充分お役目を果たしたもの、使い切れないものの断捨離を始める事にしました。

ものづくりって面白いもので職人肌と芸術家肌で持っておく物が変わるようです。私はと言えば職人肌に憧れが強いものの、なれずにいて芸術家よりなんですね。つまり常にパシッ!と美しく物が少なく決まった位置にこれ、ストックはこれだけ!と決めておけないタイプです。作る物を決めてから材料を揃えず、セレンディピティが働いてくれるのを期待してる所があります。どういう意味かというと「あっ。この色きっとこれに合うんじゃないかなー。でも足りないな。ちょっとサイズ自体変えるか。結果的に違うものになったけど素敵!」という、わかりやすく書くなら結果最高にオーライ!というものです。

何度か職人的に作る物をバシっと事前に決めて、図面を書いてから始めた事もありました。あっという間に断念しました。そうやって作る物は自由さが抜けて趣味の工作の域を出ずに退屈な物になりわくわくしません。別に私は芸術家で生きている訳ではないのですが、そこはとても大切な事で譲れません。

でもこれは「ものづくり」だけではないのですよね。例えば文章。私は短文が苦手で長文が好きです。昔、長文の記事や日記を毎日たっぷりBlogやSNSでアップしていた時代がありました。「よくそんな長い文章毎日書いてられるね」と言われた事があります。また同じくらいよく言われたのが「よくそんなに書きたい事が出て来るね」でした。

私の場合はものづくりと同じくBlogに関しては「これをこうやってこの長さで書こう!」と書き始める事はありません。何か「もやーん」と書きたい事があるだけです。無くても書き始めたら「もやーん」と何かが現れます。大切なのはMacの前に座る事だけです。後は指とキーボードが勝手に書き始めます。書いている内に「もやーん」が自在に動き始め、時に化学変化が起こる事もあります。またはエンドレスに長い文章になってしまったら書き終わってから煮詰めて濃度を上げる事もあります。つまり私の場合、文章とものづくりは同じです。

昔写真を撮る事にはまっていた事がありました。鈍器の様に重たいマニュアルカメラのNikomatであちこちを撮って現像してプリントするだけです。その時に写真家目指したら良いのにとよく言われましたが全くその気はありませんでした。写真も撮りたい物に出逢ったら撮る。たまたま良いものが撮れた!という世界だったからです。こういうテーマで撮って世の中に発信したいとかではなかったのです。

 

15年くらい前、友人のお店AnN-shitsuに遊びに行った時の写真。作品ではなく単なる記録。現像からプリントまで、暗室作業は最高に楽しかったです。今気付いたけどお店の名前も暗室でした。

 

私にとって写真は単なるその時の視点の記録という扱いです。
写真もものづくりと殆ど一緒です。

では、人生は?
私の人生は身内をはじめとして本当に周りの人から心配される人生を送っていると思います。しっかりしてそうとよく言われますが全然しっかりしていないのですね。左脳で生きてそうと言われますが殆ど直感と勘で進んでいるんですね。つまり人生もセレンディピティを大切にしています。今こうしてヨーガの講師をやってる事が正にそれです。多くの知人に「え?!ヨガ?!」って言われたものです。私自身が一番びっくりしていたかもしれませんが。でも私の場合は「ちゃんとしなくちゃ」と計画立てて進めた時の方が大失敗しているので今これが正しいと思っているので正解なのです。

断捨離とは正反対な人間なのです。断捨離をすると物質的セレンディピティは遠ざかる事になります。では何故そんな事をしているのでしょうか?

一つ前の記事「煙噴く脳内ヨーガ」にも書いたのですが、私は中途半端に器用な人間です。セレンディピティとか言い出したら無限大に物事が広がり、エネルギーが分散されて薄まってしまうのです。中途半端に輪をかけた人になってしまいます。そしてセレンディピティ自体が目的にならない様に、自分でわざと枝葉を切り落としているのが今行っている断捨離です。

去年、シヴァナンダヨーガの先輩のお宅に泊めていただきました。俗にいうミニマリストというお部屋に初めて入った気がしました。普通のミニマリストの上を行くミニマリストだったかもしれません。その部屋には迷いを感じませんでした。目的地まで真っ直ぐ一本道です。

断捨離は一人旅の最中を思い浮かべると良いと思っています。手持ちの荷物だけで便利とは言えませんが、何も迷う事がありません。身内はよく知っていますが、旅の最中の私は最高に元気になります。それを思い出した時に「本来の自分はそっちじゃない?」と思ったので苦手だった断捨離をしてみる事にしました。

でも長年のストックはなかなか減りません。
ひとまず今日は冷蔵庫内と洗面所の断捨離をしました。
それだけでも結構気持ちはすっきり。

言うまでもないのでしょうが、セレンディピティって後から勝手に起こるもので求めるものでは無いですね。

遅まきながらやっとここまで来られたので、今は目的地に進む事だけにフォーカスしていこうと思います。あっても無くても良いレベルからもっと人生レベルまで。まだ時間がかかるかもしれませんが、ミニマリストまでいかなくてもいいから迷いの無い暮らしが出来る様になる所まで進めていくつもりです。