映画『モリのいる場所』

遠くに行きたい。

どこでもいいから遠くに行きたい。

遠くに行けるのは、天才だけだ。

— 寺山修司

 

昔も今も好きな言葉です。

十代から30代半ばにかけて、私の生活の楽しみの多くは「旅」が占めていました。バイクや車、電車、飛行機、バス…手段は何でも良かったのですが、遠くに行く事、見た事が無い所を見る事に大きな価値を感じていました。過去形で書いていますが、今、旅を否定している訳ではありません。その頃の思い出はどれも大切ですし、その中で学んだ事や得た事も沢山あったと思います。でも、いつも「もっと遠くへ行きたい」という気持に終わりは無く、あれだけ来たかった場所に来てもその満足は続きませんでした。でも旅ってそういうものだと思っていたのでまた次の旅に出るのでした。

今年の始め、1台のバイクを手放しました。

旅をしなかったらストレスで狂いそうになってた頃もあったのに、今は年に一度、インドに行くのみです。でも旅が一番だった頃より今の方が遥かに楽しく生きています。

もうかなり前の話ですが映画『モリのいる場所』を観に行きました。
実在していた熊谷守一氏という画家が主人公のこの映画に興味を持った理由は、主演が山崎努さんと樹木希林さんだった事も大きいのですが、その熊谷守一氏こと「モリ」が数十年庭から外に出ずに蟻や池、魚、空を眺めたりして夜に絵を描くという生活を送っていたという点でした。

非常によく出来ていて、蟻の足音まで聴く事が出来ます。役者さん達も素晴らしいのに虫や植物の素晴らしさも相まって50坪程の家と庭のだけという一見小さな物語は、小さな所から全てを見つめる様な作品でした。私は昔から全体を知りたがる癖に細部にこだわりたくなるタイプです。フラクタクルに惹かれたり、ベルベデーレのを木炭でデッサンするならどこかで拾った小さな石を尖らせた鉛筆でカリカリ描き込みたいタイプです。鉱物に惹かれたり、ルーペを覗き込む世界が大好きで、未だに顕微鏡を捨てる事が出来ません。どこにピントを合わせてどこから理解を求めて穴をこつこつと掘り出すかはその人によって違うのでしょうが、私は無意識の内に細部にそれを見いだそうとしていたのかもしれません。

「宇宙は広い所だけでなく小さな石ころやありんこにも在るという事」それをシンプルに見せてくれて、最後にぐーっと画面がひいて庭全体を移し、更に外まで広がっていって終わります。エンドロールでは逆にまた庭に戻って音だけで、まるでモリの感覚を体験させてくれる様な演出もヒットでした。

バイクで旅していた頃にこの映画を観ていたら今と感じ方は違っていた気がします。面白いとは感じてもそこから広げていけたか分かりません。寺山修司氏の言葉は何も変わっていないのに、自分の考えがくるっとひっくり返ってから見れて良かったです。

また、旅ばかりしていた私に「旅なんか出なくてもどこまでも遠くに行けるから」と言った人の事を久し振りに思い出した日でもありました。