ビクシャー、ダーナン、ダクシナについて

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復習しようと過去の講義の録音を聴こうとしたらフォルダを間違えて違う時のサットサンガの録音でした。折角なので聞き続けたらダクシナやビクシャーの説明でした。そして今朝のオンラインクラスでも話が出てきたこともあり、勉強会が始まった所の良いタイミングでもあるのでまとめてみました。

去年、今年ともに沢山ご質問、お問い合わせをいただいている「ビクシャー」「ダクシナ」「ドネーション(寄付)」についてです。先生のサイトにきちんと説明があるのですが、勉強会、個人的な経験も含めて書いてみました。


भिक्षा【bhikṣā / ビクシャー】
ヴェーダーンタ勉強会では昼食は無償提供されています。案内文に「ビクシャースポンサーをご希望される方は受付時に…」と書かれていますが、これはどういう事でしょうか。希望しなかったらタダご飯でもOKと受け取れるのでしょうか。

ビクシャーとはグラハスタ(家庭人)がサンニャーシンやブランマチャーリンに食事を提供する事です。サンニャーシンとはオレンジ色の服を纏っているスワミ(家族や人間、社会と関わりを持たない、食べ物の為に仕事もしない、一線を退いた方、学び、教える事に専念されている方)と呼ばれる方々、ブランマチャーリンは白い服を纏った方で、知識を学びんでおられる方です(私達に教えてもくださる有り難い存在でもあります)。彼ら、彼女らはグルクラムなどで暮らして日々学び、教えておられ、社会で生産活動を行う立場にないので食べ物を受け取る立場になります。「食べ物を乞う」それを単語にしたら「乞食」となるのですが、現代の日本では使ってはいけない言葉になっています。実際には生産者が生産しない人達(あくまでも他の役割の方という意味です)食事を提供するというシステムがあって成り立つ言葉なので、乞食という言葉を使ってはいけない現代社会は残念な状況にあるとも言えます。

他の役割と書きましたが、ここでいうサンニャーシンやブランマチャーリンは知識を学び、教えてくださる膨大な知識を繋いでくださるという大切な役割を担っておられる方達です。

私は未婚で自分の家庭を持っていませんが、働いて報酬をいただいて暮らしています。よってビクシャーを提供する側にあります。グラハスタはビクシャーをいただく立場ではありません。「グラハスタだけど勉強したいから食べさせて」というのは良いことではないとのことです。社会で生産する役割にあるグラハスタがビクシャーに頼ってしまったら誰がサンニャーシンやブランマチャーリンに食事を提供するのか、という事になるからです。役割がしっかりしていないと社会がうまく回っていかなくなります。

ただ、サンニャーシンやブランマチャーリンがお金を持っていて食事を誰かに提供することはしても良いそうです。ですがそれはビクシャーとは呼ばず、アンナダーナン(食事の提供)になるとのことです。


・दानम्【dānam / ダーナン】
寄付、与えること、あげることです。これは請求書がなくても行うこと、また、義務がなくてもあげること。

因みに旦那さんが奥さんに生活費をあげるのは義務なのでダーナンになりません(勿論専業主夫で奥さんが働いていたら奥さんがあげる側)。結婚は契約であり、二人でヤグニャをして成長していきますよ、というものだからだそうです。そしてそれをスキップした人は気をつけないといけないとか(気をつけます…)

「与える」と書くとどうも上から目線のニュアンスが出てしまうのが日本語で、giveとはニュアンスが違う気がします。giveする事を学ぶにはgiveしてしか学べない、とインドで参加したキャンプでスワミジが仰っていました。たとえ話で車の運転を覚えるには車を運転してしか覚えられない、とも。印象的だったのは「ヒリヒリするまでgiveしなさい」という言葉です。ヒリヒリするまでgiveできてるかな?と思うとまだまだ…といつも感じます。

余っているところから寄付をするというのが多くの日本人の考え(以前は私もそう思っていました)だと思いますが、極端に裕福じゃなくてもできる事です。いまの自分ができる範囲しか出来ないのですから、裕福になるまで待っていたら一生ダーナンは学べないかもしれません。

寄付の文化が希薄な日本では学ぶところが多いと感じています。払わないで良いなら払わない方が得、という感覚が溢れているからです。初めてドネーションのアーサナクラスをしたときは勇気が要ったものです。ただ、勇気が要ったという事は私自身がその額を気にしていたからにすぎません。そう思うとどちらの立場になっても学びは多いものだと感じています。


・दक्षिण【dakṣiṇa / ダクシナ】
先生方にお渡ししているダクシナですが、ダーナンと違う所はヴェーダの文献を学んだり、知識を得た時にその価値観、感謝を表現するものとのこと。学ぶ内容は様々で、ヴェーダーンタを教えてくださる先生に対しては勿論、音楽やダンスでもダクシナだそうです。

プージャーをお願いした時は渡さないことには完成しないそうなので、必ず渡さなくてはいけません。ただ、大きなプージャーで沢山渡すべき相手がいる場合は誰にどれだけ、とかが難しいのでよく知っている人に渡してお願いするのが良いとのこと。

気をつけたいのは先生方にレッスン代、受講料、月謝のように渡すのではない所でしょうか。レッスン代として渡す事は雇っているのと似た意味になり、失礼に当たるからだそうです。

また、文献を学んだり、その知識を得る事ではないものに対して渡したい時はダクシナという言葉ではなく「寄付」「ドネーション」が適切とのことです。


知っていると思っている事でも時々確認し直すのは良いですね。勉強会の案内文を書く時などは誤解しやすい文章にならないよう気をつけないと、と感じました。

因みに今朝のオンラインクラスはBG Home Study Course Vol.2 p.18の二つ目のパラグラフにこのようにありました。

Only two types of people can take bhikṣā, students, brahmacārīs, and renunciates, sādhus. Brahmacārīs can take bhikṣā because they are not earning members in the society. They leave home and go to the gurukula to live with teacher. Therefore, they are allowed to go for bhikṣā, if they have to. Sādhus or Swamis are renunciates and they live on alms.

Bhagavad Gītā home study Course Volume 2 p.24より

生徒であるブランマチャーリー達と、一線から退いた(卒業した)サードゥ達と二種類の人達だけがビクシャーを得ることが出来ます。ブランマチャーリー達は社会で稼ぐ人ではないのでビクシャーを得ることが出来ます。彼らは家を離れてグルクラに行き、師と一緒に暮らします。したがって、彼らはビクシャーを得ることが許されています。サードゥやスワミ達は一線を退いて、施しで生活します。