プラサーダ

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恐らく、ショッキングなことがありました。

「恐らく」などと変な書き方をしましたが、今の私は落ち込むことも、傷つくことも、取り乱すこともなく、自分でも少し驚くくらい冷静でした。でもこれが3年前だったらショックだったかもしれないので「恐らく」とつけてみました。

こういう時に共に学んだ友人と顔を見ながら話したり、先輩とネットを通じて話ができるのは本当に恵まれていますね。そして何より来月の今頃にはアシュラムにいるはずです。

私はヨーガを信仰の対象としてしているわけではありません。
時々「宗教?」と聞かれますが「ある意味宗教、でもあなたの定義の宗教ではないと思います」といつも感じています。この場合の定義は特定の神様を理解ではなく信仰していることです。シヴァーナンダヨーガのAratiではジーザスもブッダもモハンマド、グルナーナクも讃えています。全ての宗教は尊いとスワミ・シヴァーナンダは仰っていたそうです。

話を戻します。更に依存でもなく、この知識を使って心身の健康を保つ為の手段とさせていただいている事を再認識できた気がしました。私にとってもっと素晴らしい手段があったら、そちらを選んだと思います。ここに至るまで、陸上、バスケ、ウォーキング、ジョギング、ピラティス、水泳、色々通って落ち着いて、ここで学びたかったから始めたのであって、穴を掘り始め、これからもきっとそれは変わらないことでしょう。

私は私の役目をきっちり全うできますように、とお祈りに入れることにしました。

きっとこれから傷つく人、ショックを受ける人、落ち込む人が沢山出てくることでしょう。対面でお話しできる人には私が聞いてきたこと、感じたことをシェアできたら、と思っています。

庭に還したギータージャヤンティの時のプラサーダが、今もまだこんなに美しい状態でペニーロイヤルミントの絨毯の上にありました。

望ましいことも望ましくないこともプラサーダ、有り難く受け取ります。