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煙噴く脳内ヨーガ

中途半端に器用な人がいますが、まさに私はそのタイプです。中途半端に器用だから学校の成績は良い方でした。勉強をやめてデッサンに集中する事に決めた高校の数学とかは常に赤点でしたが。

「何でも器用に出来て良いね」と言われてきましたが、自分の才能がずっとわからないまま子供時代を過ごしていて本人としてはそれが不満でした。一つ決めたら良かったのですが、それも出来ない中途半端さでした。どれをしてもそれなりに出来てしまうのですが、だからといってずば抜けて突出しているわけでもありません。そんな自分にいつもどこか不満を抱いていた気がします。思えば自分の能力をしっかり使う方法を知らなかっただけなのですが。

十代後半になるとすぐにうまく出来ない事に魅力を感じる様になりました。大学で彫刻学科を選んだ理由は自分が彫刻が一番得意ではないと感じたからです。何故そんな事をするのかというと学ぶプロセスや達成感、学びというものをしっかり味わえるからなのかもしれません。得意な事を一つしぼってコツコツすればきっと人生はもっとイージーモードだったとは思いますが。笑

突然何かの回路に繋がったり、思い出すかの様に理解して、何よりその先に進んでいけるのは嬉しい事です。私にとってそれがヴェーダーンタを学ぶ事であったり怪我やら色んな不調でかたくなってしまった体にはアーサナが良かったのかもしれません。そう思うと失ったり得意でないという事も悪くありません。そして今はサンスクリットがまさにそれです。毎回クラスで頭から煙噴いてます。でも日々読めるようになっています。

文字と文字がそこにくっつくの?!って時もあってかわいく見えてきます。

 

学んでいるとまるで慣れないアーサナしてる様で面白いのです。脳内ヨーガですね。チャンティングもなかなか満足に出来ません。でもデャーナシュローカも初めて耳にした時はまさか覚えられると思わなかったのに毎日唱えてたら覚えました。きっとサンスクリットもチャンティングも一緒の筈。初めてスワミジの講義を受けた時の様に未知過ぎてすぐ手に負えない知識だと感じ、そしてそれだけでなく、何より目指す目的地に繋がる道と重なっているとわかっているのでわくわくしています。

TTCで頑張って勉強した時も、カルマヨーガの時も、そして今も頭から煙り出そうな状況の時はいつも幸せです。

大変そうな方に片足つっこんで微笑みながらずぶずぶ沈んでいく姿を見ている知人に「いつもわざわざ行っちゃうね」と笑われた事があります。面倒臭い所や大変な所をくぐり抜けた向こうに宝石の様な存在があるんだと思ってるのでしょうか。違います。今回はそうなんだと確信してるからなんでしょうね。

私以外の家族が旅行に出かけている間、静かな家で一人、私はずっと幸せにプチ断食しながら煙を噴いていた3日間でした。

 

今日はいつもより早起きして4時半からアーサナをいつもより時間を取ってみました。
頭ばかり使わないよう気をつけたいです。