時間を守る基準

時間を守ることは社会人として当然とされていますが、あまり厳しすぎる必要もないかな?というのはインドでクラスを受けて考え方が変わった点です。

だからといって、約束の時間を破って良いという意味ではありません。

インドでのクラスは時間がオーバーや変更、教室まで変わったりと目まぐるしく変化したものです。

とりわけ多かったのが、クラスが長引くことでした。次の予定はどうなるんだろう?休み時間なくなって次のクラスの時間になっちゃう!とか最初ははらはらしたものです。

"clock" Photo by Yaniv Knobel on Unsplash

ある日、他の日本人生徒がスワミジ(先生のことです)に時計が見えやすいように角度を調整しました。スワミジはすぐに気づいてこう言いました。

「時計を見えやすくしてくれてありがとう。必要な話や質問で時間がオーバーするのはまぁ、良いじゃないですか^^」

でした。

その時から時間がオーバーしてもヒヤヒヤしなくなったものです。

急な教室の変更もあまりに暑いから少しでも涼しい所で集中できるように、と、時間を押してでも生徒の為を思ってのことだった記憶があります。

2018年のアシュラムの時間割表。これも変更しまくります。

ここまでは先生側の話でしたが、生徒側はどうでしょうか?

もちろん、遅刻は厳禁です。教えていただくのですから書くまでもありません、というよりも、個人的には遅刻は勿体無いのでできないという感覚です。

ヴェーダーンタのクラスでは更にその辺はきっちりしている印象を受けました。先生方が教室に入られるより前に全員教室に揃っていてお迎えします。

オンラインクラスでは、先生は仕事や家庭の事情で遅刻や早退、欠席は気にしないで良いと仰っていました。仕事や育児、体調の問題など、日常生活は人それぞれなので、その中で学べるようにというご配慮なのでしょう。

何を言いたいかというと、時間を守る基準が日本の感覚とは少し意味合いが違うということです。

日本の社会や義務教育では「時間通り滞りなく進めるのが当たり前だから」「迷惑をかけない為」「決まっているから」時間を守っていたのかな、と感じることがあります。

時間を守ることも何に優先順位をつけているか、ということに行き着くと思うのですが(中には凡ミスや仕方のないこともあると思います。手帳への書き間違いや、時計の電池が途中で止まってしまっていた、電車の遅延など)、大切なのはその時の状況で正しく優先順位をつけられているか、ということなのでしょう。

色んな誘惑に負けてのことなら正しくないですし、体調不良であれば仕方のない部分もあるでしょうし、それが前日浴びるようにお酒を飲んだからなのであれば自業自得ですし、生活の中で全て繋がっていくのだな、と思います。

リトリートで、ティータイム時に判断を間違えたことがあります。何を間違えたかというと先に戻っていたのにチャイのオーダーをみんなの分していなかったということです。

私の中ではチャイといえばこれ。

みんな戻ってくるかわからないし、コーヒーが良い人もいるだろうし、いらない人もいるだろうし、と間違った方向に気を遣ってしまったことが原因です。その時に先生が仰ったのが、

「クラスを最優先にしていたら間違いない」

と仰いました。
当たり前なのですが、それで答えは間違いなく出るのですよね。

コーヒーが良かった人にチャイが回ってきても、大きな問題ではありません。体調の問題で飲めなければ他の人が2杯飲んでも良いわけですし、スタッフにあげてもよいわけですし。本当に私が気にかけたことは大した問題ではありませんでした。

そんなことよりティータイムがスムーズになるようにして、次のクラスが滞りなく行われる方が大切です。

ものすごくシンプルなことですけど、できてないことが自分にはあるなと感じています。特に間違った方向に気を回してしまったりすることでしょうか。もしかしたらそれは無意識で好き嫌いで行なっているかもしれません。

これだけあったら選ぶのも大変そうですが。。

最優先事項の為に自分がその時何を選択するのか。

約束の時間に遅刻しないことは言うまでもありませんが、スケジューリング、生活、個人的問題、仕事のこと、全て関わってくることです。

何を最優先事項にするのか、今何をするのか、最優先事項を優先するあまり家庭や仕事に迷惑を不義理をしていないか。

もっと勉強や仕事をしたいのにできないと感じている時に、何を理由にしているのか。そして、その理由の前には何があるのか。できない時はさかのぼると原因が必ずあります。

個人的には、今年になってやっと毎年から梅雨明けまで体調が酷くなることがわかりました。栄養状態ではなくカビアレルギーなので、来年からは春先から対策を前もって行えば良いだけです。

生きやすくするのは自分の行い次第というのは当たり前のことですが、もっと自然にできるようにしようと考えた日でした。

充実して後悔なく生きたいものです。