世界の喪に服す期間と過ごし方

約半年前になりますが、年末に伯父を亡くしました。
年末年始を挟んでいたので待機期間があり、五十日祭が終わるまでコーラムも全てお休みすることで喪に服していました。

ところで忌中ってどれくらいなんだろう?と思って調べてみました。
調べてみると期間が国や宗教で大きな違いがあるので面白かったのでよろしければご覧くださいませ。

宗教や国によって違う喪に服す期間

宗教または国喪に服する期間
イスラム教女性は4ヶ月と10日(男性は3日)
神道五十日祭まで
仏教四十九日まで
ヒンズー教※2週間
韓国(宗教問わず)3日
キリスト教0日

※ヒンドゥーは一般的なイメージの宗教とは違いますが、ヒンドゥーの文化に沿って生きている人たちを指して書きました。

長い順にまとめてみました。
正確には忌中と喪中と分けるべきだと思いますが、時代とともに変化してきていること、今回は私がコーラムを控える期間を知りたくて調べたものですので忌中と考えてまとめました。

神道では五十日祭、仏教では四十九日が忌中にあたります。

興味深いのがイスラム教は男女差が大きいこと、韓国は宗教問わず(主にキリスト教と仏教だそうです)3日であることでしょうか。そしてキリスト教が0日なのは神に召されるからだそうです。

喪に服すって何をするの?

喪に服すと耳にしてすぐ思い浮かぶのは年賀状を出さない、喪中の葉書を出すということではないでしょうか?

喪中とは故人の死を悼み、身を慎むことだそうです。

現代では喪の装いをするのはお通夜や葬儀、四十九日や五十日祭くらいですが、昔はもっと長い期間喪服で過ごしたそうです。

イギリスの話ですが、ヴィクトリア女王はアルバート公が亡くなられてから40年間(!)喪に服したことで知られています。その間にモーニングジュエリーとしてジェット(化石化した漆黒の木で作られたジュエリー)が流行したという話もあります。ご興味おありの方はこちらからヴィクトリアンジェットの画像検索ページをごらんください。

今40代前半くらいまでの人は昭和の終わりの記憶にあるかと思いますが、あの頃はTVやCMも自粛していたりと日本中が独特な雰囲気がありました。

そういう特別な喪に服すことではなく、現代において個人的には何をしたらよいのでしょう?

  • 香典返しを送ること(穢れを伝染させない為、忌明け後に送る)
  • お祝い事への出席を控える。
  • 神社への参拝を控える。
  • 祭事の参加を控える(初詣、お正月飾り、お節、お屠蘇なども)
  • お年玉をあげること(お小遣いにしてあげる事が多いとのこと)
  • 喪中のお知らせの葉書を12月に送り、年賀状は控える。
  • 神棚に触れること(忌中の間のみ)
  • 家の新築、改築を控える。
  • 旅行や遊行を控える。

何の為の忌中 or 喪中なのか

調べたことをずらずらと書きましたが、決まってるからそうするというよりも何の為の忌中、喪中なのかということが大切なのでしょう。

故人との関係性もありますし、想いもあります。

インドでは2週間だからコーラムも2週間お休みとも一瞬考えましたが、宗教を大切にしていた伯父を思い出したら伯父の宗教に合わせて五十日祭までにすることにしました。

予定していた旅行もキャンセルし、結果的に静かに過ごした約五十日は大切だったと感じています。

儀式を行うことは誰のため?

私は子供の頃から葬祭、人の死に関して興味がありました。単なる興味というよりも、物心ついて記憶も定着し始めた頃に祖母を亡くし、ショックと共に、理解できなかったという衝撃が強かったからかもしれません。

人は死んだらどうなるのか?眠っている間はどこにいっているのか?
などをベッドの中で考えていた幼稚園時代を今もはっきり覚えています。

今も葬祭業をされている方の文章を読んだり、動画を見ることがよくあります。そこでよく言われることは「葬儀、お弔いは残された人の為である」ということです。

故人の人生が反映されるものでもありますが、喪主を中心とした関係があった人達が納得する為にもあるのだなと毎回感じます。

突然の訃報の場合はまず理解が追いつきません。故人と対面してもどこか「おはよう!と起きあがるんじゃないだろうか」「またその辺からひょっこり出てくるんじゃないだろうか」とか考えていたりします。私自身、京都の家に行ったら伯父が「よう来たな」と出て来るんじゃないかという気がまだしています。

葬儀から五十日祭(又は四十九日)、一年祭(一周忌)と、人の死を理解して納得させて行くステップのようです。ショックから悲しみ、寂しさを遠り、納得し、感謝していくという段階を経ていくようです。

死生観

死生観は人によって違うことでしょう。宗教であったり、無宗教の人は無宗教の人でそれぞれだと思います。私はヨーガやヴェーダーンタを学ぶ身としてそちら寄りの考えを持っています。

恥ずかしながら神道のことを詳しく知らなかったので、最初は「えっ、霊璽に閉じ込められたまま?!」「守護神?神棚に縛られるの?!」と思っていました。。それは怖い考えだな、と。。

ただ、五十日祭の食事の場で斎主様が

「次の世でまた能力を生かして活躍されることでしょう」

といったお話がありました。守護神という神様になるという考えもあり、輪廻の考え(?)もあるのかなと理解すると少しほっとするのでした。

(神道について不勉強なため曖昧な書き方となっております。)

身近な人を亡くしたら

忌中の期間、忘れるために、気晴らしの為に方もおられるのかもしれませんが、少し故人を思い出したり、感謝の気持ちを持ったり、お祈りをすることは、自分の経験を通してとても大切な時間だったと感じました。

身近な人を亡くすことは悲しく、寂しいことではありますが、その気持ちが感謝に変わります。また、体を離れてからも教えを与えてくれるという事に驚かされます。

この有限な時間をどう過ごすのか、何をして生きていくのかということも見つめ直す機会にもなりますので忌中、喪中の期間をどなたも大切に過ごせれば、と感じました。

個人的な話ですが、私はtryambakaṃを108回チャンティングするようにしています。祈るということが身近になっていることはこういう時に有難いものですね。

ぽかんと穴が空いてしまった方にもおすすめしたいです。
その空いた穴がほんわりとした優しさで包まれますように。