落ちた鱗の灯火が

  目から鱗が落ちる経験は幸いながらこの数十年で何回か経験してきたけれど、先日もぽろっと落ちたそんな日でした。   有り難い事にサラッスヴァティーのプージャや講義に友人と一緒に参加させていただく事が出来ました。9/30はविजयादशमी (vijayādaśamī)で新しい本を祭壇にしてプージャを行うそうです。本はサラッスヴァティーという事は知っていましたが、なるほどーと思ったものですが、考えると不思議でもないですね。     この写真はシュリンゲリのテンプルのサラッスヴァティーとのこと。いつかお参りに行ってみたいものです。   この日は朝から晩まで学びの多い日でした。それは講義の内容がどうというだけではありません。自分が何を学び、何を理解し、また「何の為に学ぶのか」という事です。ただ学ぶ事に快感を覚えているのではないか、本気でそう思っていただろうか、などなど。   自分は自分が求めている所に辿り着きたいから学んで理解をしたいということ。 とってもシンプル。 学べば学ぶ程にシンプルになり、純度が上がる様なそんな感覚になります。   自分の理解を遥かに越えたクラスに参加をするというのは頭が忙しくなります。そしてどんなに忙しく回してもすぐに理解が進むものでもありません。でも今はまだわからなくて当たり前。それをわかる様にしていけば良いのだということ、正確にはわかる為に必要な努力を重ねて理解に繋げていけば良いのでしょう。後は進むだけなんだなぁという確信を得た今、とても静かにわくわくしています。 この日の晩、寝る前にサンスクリットにうなされるんじゃないだろうか…と思いましたが、ヴィシュヌサハスラナーマストートラムのお陰か、ぐっすりと夢も覚えていない状態で朝までぐっすりと眠りに落ちました。   この日落ちた鱗はきらりと光って灯火となりました。