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「10月はたそがれの国」

しなくてはいけない事が山積みの時でも読書を止めるという事はしたくない人です。効率を考えると学んでいる関係の本を読むとかにしてエンターテイメント的な小説を読まないようにすれば良いのかもしれませんが、それは私には難しい選択です。自分の年代が移り変わっていっても変わらず読み続ける作家というのが本好きな人であればあるのではないでしょうか。私の場合10代後半の頃から読み続けている作家がいます。その内の一人がレイ・ブラッドベリです。

海外の作家の文章を日本語で読むという事は本人の意図している世界を完全には味わえていないのかもしれません。それでもブラッドベリの作品は日本語訳でも皮肉を交えつつも独特の世界観、詩的な表現を味わう事が出来ます。10代前半から村上春樹の作品を読み始めた私は短編の面白さというものを知った気になっていましたが、ブラッドベリの短編を後に知った時はちょっとした衝撃を受けたものです。個人的にはタイトルの「10月はたそがれの国 (創元SF文庫)」(リンク先はAmazon)という短編集が好きです。


10月だなぁというのもあってこの本を思い出してまたぱらぱらと読んでいました。この本を好きな理由はその話の面白さというのは言うまでもありませんが、その挿絵にもあると感じています。挿絵はジョー・マグナイニ(ジョゼフ・ムニャイニ)。

私は絵を描いてどこかに発表しているとかはしていないのですが、私の絵を知っている人なら「ああ、好きそう!」って言うのではないでしょうか。ジョー・マグナイニ(ジョゼフ・ムニャイニ)の絵を知ったのは、絵をあまり描かなくなった頃なので強く影響を受けた作家とかではありません。ですが、見た時に「あー、これだなー」と思った記憶があります。想像力を邪魔する事なく、むしろ連れて行ってくれる様な情報量。決して過多ではないけれど密度のある絵です。

同じく読み続けているミヒャエル・エンデの短編の「鏡のなかの鏡―迷宮 (岩波現代文庫)」も挿絵(これは著者の父親のエドガー・エンデのもの)が非常に良い効果を与えています。

この本は短編集といえば短編集なのですが、読んでいるとリンクしていく事がわかります。ミヒャエル・エンデは残された言葉を見ていくと実に世界の色んな事を知っていた方だったと思われるので興味深いです。哲学を全面に押し出さないけれど(哲学と作品は別だと割り切ってそうしていたそうです)作品にはその香りを感じる事が出来ます。そこにエドガー・エンデの挿絵がまた効いてくるのです。

大人の本には挿絵という物はとても少ないのですが、子供の頃は挿絵が楽しみで読んでいた事も多かったので、もっとあっても良いのに!と思う事があります。うまくいってないと想像力をへし折るツールにもなりえるので非常に難しい所でもありますが。

実は挿絵のお話があるのですが、まだうまくいっていない状態です。そんな事を考えていたのでこんな事を書きたくなったのでしょうね。自分が好きに描く絵とは違って非常に責任のあるお仕事です。

挿絵と文章だけでなく違うジャンルの物同士の相乗効果が生まれる時ってわくわくします。どんなお仕事もそう在りたいと思っています。自分だけで、自分ひとりのひとつの能力だけで成し得るってありませんから。今年はクリエイティブに過ごすべき年だそうなのでインプットばかりしていないでアウトプットもしていきたいものです。