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年末、Sivananda Yogaを想う。

 

今年全てのクラスを終了致しました。
ご参加くださった皆様、ありがとうございます。
また、場所を貸してくださった方、主催してくださった方皆様にお礼申し上げます。

ありがとうございました。

 

いただいた素敵な質問を時々シェアしていくことにします。
今回のものは先日心光寺さんでの最後のクラスでもシェアさせていただきました。

 

質問
「何故スワミ・ヴィシュヌデーヴァーナンダジが作ったのにシヴァナンダヨーガなのですか?」

 

これは簡単なようでいてとても大切な事だと思っています。

世界に広がっているシヴァナンダヨーガと呼ばれる12の基本のポーズのシークエンスを作られたのは確かにヴィシュヌデーヴァーナンダ先生です。その先生がシヴァーナンダ先生だからです。それは確かにそうなのですが、それだけで終わるものではありません。

 

勿論、ヴィシュヌデーヴァーナンダ先生の先生がシヴァーナンダ先生である事に間違いはありません。師に敬意を表して、というのは当たり前に含まれている事でしょう。

 

ヴィシュヌデーヴァーナンダ先生はシヴァーナンダ先生にアーサナの才能を見出されて指導するよう言われました。そしてインドだけでなく、西洋でも教えるようになりました。西洋に渡ってから生徒が増えた時に、ヴィシュヌデーヴァーナンダ先生が普通の人間であれば自分の名前をつけてもおかしくなかったわけです。「ヴィシュヌデーヴァーナンダヨーガ」または「ヴィシュヌヨーガ」としても西洋の人達は何も思わなかったでしょうし、それで広まったことでしょう。でも彼のグルである名前を付けて「Sivananda Yoga」とされました。

 

この話を聞いた時にとても感動したものです。

 

そしてある先生が「シヴァーナンダ先生が今おられたらSivananda Yogaという名前も否定したかもね」と仰いました。それも確かに、と感じたものです。

 

以前「キリストはキリスト教を作ったのではなく、ブッダが仏教を作ったのではない」といった内容の英語圏のどこかの国の風刺漫画を見たことがあります。天国なのか、雲の上でキリスト、ブッダ、モハンマド(だったと思います)が地上を見下ろしている絵だったと思います。結果として開祖とされているわけで彼らは「自分を神としなさい」とは言ってないという意味でしょう。自分がグルだ!なんて仰らないわけです。残された弟子が宗教としていき、宗派が広がっていって、海を渡り、歴史を経て今の形になっています。

 

ヴィシュヌデーヴァーナンダスワミジが「Sivananda Yoga」と名付けた所に私はじーんと来るのです。名前に既に教えが含まれている、と。そしてその先生であられたシヴァーナンダ先生に本当にお会いしてみたかったと感じます。

 

私が習ったシヴァナンダヨーガの先生もGovindanandaスワミジをはじめ「この私が教えてる!」「私の生徒を増やす!」という方ではなくスワミジの教えをきちんと守られているばかりでした。とても有難いことです。また、アーサナに限らず、ヴェーダーンタやサンスクリットの先生であるMedha Michika先生もお話をお聞きしていると、いつでもその向こうにプージャスワミジの言葉があります。そしてその更に向こうにも先生方がいらっしゃったわけです。知識を繋いでくださった全ての先生方にお礼申し上げます。

 

ありがとうございます。

 

いつもこのことを胸に刻み、自ら道を踏み外す事のないよう、いつも忘れないようにしていきます。

 

2018年は学びに満ちた本当に有難い年でした。
2019年も更なる学びと、そのシェア、そして新たな目標に向かって進んでいきます。

 

皆様、良いお年をお迎えくださいませ。