ヴェーダーンタでは誰から学んだかを明らかにすることが大切と聞いた覚えがあります。実際、ダヤーナンダアシュラムではプージャスワミジの3名の先生の写真が壁にかかっていたのも印象的でした。
つまり、その人の先生は誰かということです。というわけで、今回はコーラムをどのように誰から学んできたかについて、沢山の写真を掲載しながら書いてみようと思います。
コーラムは本来は母から娘に伝えられるので、先生を明らかにする必要ないのかもしれません。でも、日本にはコーラムの土台が全くありません。だからこそ、書くことは必要かもしれないと感じました。
Contents
コーラムとの出逢い
コーラムという名前も知らなかった昔、女性がドアの前に描く美しい白い模様が写っている写真を図書館で見ました。漠然と漠然とインドに興味があってインド雑貨屋さんに入り浸っていた頃です。
これはその本ではありませんが、素敵な本『PAINTED PRAYERS』。古本なら手に入るかもしれません。お値段が下がったら是非手に取って欲しい一冊。一昔前のインドの風景が見られます。
そこから長年、コーラムは印象として私の中に眠っていました。ですが、ヴェーダーンタキャンプに初めて参加した時、今もお世話になっているMedha先生に「インドの人がドアの前に描くあの綺麗な模様って習えないでしょうか?」と急に思い浮かんで尋ねたところから始まります。
何故、その時に思い出したのかはわかりません。ランチタイムの会話の流れだったことだけ覚えています。
最初のコーラムの先生
その数カ月後、インドのグルグラムでMedha先生のヴェーダーンタキャンプに参加している時に「コーラムの先生見つけてきた」とレーヴァティさんを紹介され、教わることができました。先生が覚えてくださっていたことが嬉しかったですし、日本人に快く教えてくださる方がおられたのも有り難いことです。
レーヴァティさんが描くコーラムが私が初めて対面したコーラムでした。ただひたすら美しいので眺めてワクワクしていました。
これらの写真はレーヴァティさんのWSをその時グルクラムに滞在していた日本人グループで受けた時のものです。
その日から、毎朝日が昇るにテンプル前に行き、掃除や準備をして、描くところを食い入るように見ていました。正直なところ、レーヴァティさんの描き方は絵を描ける人からすると「何故この描き方でバランスが取れんだ。。」という、何十年と描いてないとできないのだろうな。。という描き方でした。
毎朝お掃除をして、うっとりコーラムを眺める日が続きました。休み時間に線を引く練習をしてみたり、ノートに描いてみたりしていましたが、自分が描くものとはまだ思っていなかったかもしれません。
ある日のこと、レーヴァティさんが、
「チェックアウトするから、明日からあなたがテンプル前に描いてね」
と言われて「えっ?」となったのを覚えています。この一言がなかったらテンプル前に描く勇気がなかったとことでしょう。良い先生というのは本当に背中を押すのが上手な方なんだなと感じています。いつも素敵な先生方にたくさん背中を押されてきていますが、これもその大きな出来事でした。
帰国してから自宅の玄関前に描くようになり、レーヴァティーさんとはsnsでやりとりが続きました。そこで次に目指すものを教えてくださったりなども。その後、レーヴァティさんは三年コースに入り、snsでのやりとりは無くなりました。こちらから連絡を取ればお返事はくださいますが、「もう習えないのかな?」と漠然と感じていました。
インドに行く時はご挨拶しに行けたらと思っています。
コーラム巡りの旅
ヴェーダーンタキャンプの前後や合間にはチェンナイを歩いて会いたい方に会ってみたり、毎朝コーラムウォッチングをして下手な英語であれこれ描き手に話を聞くということをしていました。
とはいえ、私のひどい英語力に加えて、相手が英語を話せないこともよくあり、簡単なお話だけで終わりました。中には英語を話せるお孫さんを連れてきてださる優しい方もおられました。そのお孫さんは皆さん描かれてないことに少し残念な気持ちになったのを覚えています。
コーラムウォッチングをしている時に朝にコーラムを描いている人達にのことを尋ねてみても、みんな一様に
「幸せのため」
「朝のお祈り」
「吉兆な模様だから」
「お母さんから教えてもらった」
などの一言で終わります。とはいえ、生活の中の一コマとして、沢山の人がコーラムを毎朝描いているところを見られたのはとても良い経験になりました。
コーラムが繋いでいくご縁
そんな頃、朱美さんとのご縁がありました。日本でコーラムを描いている私を見つけてくださるという奇跡的なことでした。彼女と知り合えたことから私のコーラム熱は更に上がっていったのです。
朱美さんは『暮しの手帖94』にコーラムの記事を書かれた方です。恐らく日本人で一番沢山のコーラムを見てきて、学び、詳しい方。日本人にわかりやすく、そして美しくコーラムを知らせた素敵な方です。いつも知的な文章と美しい写真が素晴らしいのでsnsを開いたら必ずチェックする方でもあります。この辺はまた別の記事で書きますね。
彼女の紹介でコーラム研究家のグレースさんに会いに行ったのは楽しい思い出です。WSを体験させてくださり、コーラムのWSの行い方についてお話をしました。この時のことを書こうと思いつつ書いていないので、いつか何かの形でまとめてみたいです。
避けていたカラーのコーラムも素材を選べば良いのだと気づかせてくださいました。とても素敵な環境にお住まいで、素晴らしい所でした!また遊びに行きたいものです。
ガーヤットリー先生
そして、続けて朱美さんからガーヤットリー先生もご紹介いただき、インドでお会いできることになりました。ガーヤットリー先生のinstagramはこちらからご覧ください。
ガーヤットリー先生のコーラムはBBCの動画で驚きを持って見ていたので、私の英語力の足りなさも忘れて会いに行くことを決めました。
会って挨拶をしてから私が日本で描いている沢山のコーラムの写真を見ていただいたり、見せていただいたりしながら、ひたすらお話を聞きました。初日は先生も私も一切描きませんでした。今よりも更に英語力が低かったのですが、私が理解できるよう説明してくださいました。
それまで私のコーラムを色んな方に見ていただいた時と違い、私がフリーダムに描いているコーラムを面白がってくださったのが印象的でした。コーラムWSに向けてのミーティングでも、褒めてくださったのは伝統的なものから外れまくったコーラムです。
そして肝心のコーラムの説明はとても興味深く、今まで聞きたかったことをどんどんお話しくださいました。
その膨大な知識量に
「コーラムの先生見つけた!」
と嬉しくなったものです。
コーラムとはすごい模様を描くことを競うものでは無いということはレーヴァティさんから習った時にも理解していました。でもコーラム界を傍観しているとそうなっていない気がして仕方ありませんでした。。
私が求めていたのはコーラムのすごい模様を描くことではなく、ヴェーダが、そしてダルマが当たり前の世界で暮らしていて、また、その知識と共に暮らしているコーラムを描いている人からの学びだったのでしょう。
ガーヤットリー先生のお話は、サンスクリット語の単語が大事なところで使われていて、今までMedha先生から習っているお陰で理解が進みました。逆に言うと、習っていなかったら私の英語力では理解できていなかったかもしれません。
インドでどんなにすごい先生に習えても、線の引き方に感動だけして帰ってくるのはあまりに勿体無いので、学んでいて良かったと本当に感じました。そして、その中にもわからないサンスクリット語が出てきたので持ち帰りMedha先生に尋ねたりも。そういう単語は一回で覚えられるものですね。
ガーヤットリー先生は時間が来たら話している最中でも立ち上がってプージャーをされ、その姿に感動したのを覚えています。
翌日食事に招かれ、御馳走になった時はマナーも少し教えてくださりました。またそのお食事も素晴らしかったこと!ご家族もとても素敵な方ばかりで、コーラム以外のことも沢山教えてくださります。
ここで、前述したBBCの動画もご紹介します。ガーヤットリー先生のコーラムはこの映像で見かけて度肝を抜かれました。冒頭お話しされているのがガーヤットリー先生です。一気に5本線を描く凄技は必見!
2019年の動画です。この後コロナ禍でガーヤットリー先生が審査員をしているコーラムコンペティションも中止になったりしました。
先生に出逢うことと、学ぶこと
コーラムWSなどで「先生の見つけ方」「紹介してほしい」などよく言われるので先生のことを書きました。
何事もチャンスは生きていたらあちらこちらにあると思うのですが、その時に受け取れる、掴める自分がいなくては目の前を通り過ぎて終わってしまうことがあります。私も思い返せばそんな経験を沢山してきたと思います。時には自分の怠惰さのせいで逃してしまったこともありました。
Medha先生のヴェーダーンタキャンプに参加していなかったら、コーラムは単なる印象で終わって描いていなかったことでしょう。そのキャンプに参加できたのも、誰かキャンセルした方がいたからです。そして、そのキャンプを紹介してくださったムクティさんと知り合いでなかったら参加できていませんでした。更にその前にアシュラムでお手伝いのスタッフをしていなかったらムクティさんとも知り合っていませんでした。更に言うならシヴァーナンダヨーガをしていなかったら、神戸で和代さんに習っていなかったら、神戸でお店をしていなかったら、、、
全ては色んなご縁が繋いで行ってくださったものです。奇跡的としか言えませんね。
一夕一朝でどうこうなる話ではありませんが、自分が学ぶことをクリアにしておくこと、できる最大限のことはしておくことが大切なんだということがヴェーダーンタを学び、コーラムを通して判るようになってきました。もっと若い頃から知っていれば!と思いますが、それも私のカルマなのでしょうね。
この記事を興味をもって読んでくださった方がおられるならば、その方にとっても素晴らしい出逢いがありますことをお祈りしています。
コーラムを日本で描き続けて感じていること
ここから先は私個人のことですので、お時間ある方はお読みください。
インドから遠く離れた日本で、今回紹介した先生方から学んだことを胸に一人でコーラムを描き続けてきました。近くに先生はいませんので毎回アドバイスをいただけるわけでもありません。
でも自分との対話として良い時間になることは確かです。私はいつも描き終えたコーラムを眺めて自分を客観視している気持ちになります。
行いで見れば、米粉を点を落とし、線で繋ぐその繰り返しなだけなのですが。
奈良の国宝殿で見た鼉太鼓にあった三つ巴の下書きをしたら他のものを描きたくなってしまった時のものです。シンボルの読解と隠れているシンボルをレイヤー化したもの。
現れる模様は今の自分だと感じます。でも、彫刻制作をしていた時とは似ているようで違い、描き終えた瞬間から虫や鳥、風によって崩れ始めます。繰り返し描いていると私が描いてもそれは自分が所有しているものではないことが当たり前になってきました。そしてコーラムを描いている時は自分は循環の中の一部であることを強く感じます。
繰り返し描いていると不思議と学んでいること、今の自分、考えていることが明確になっていきます。まるで描く線がその道筋になるかのようです。文字通りコーラムを描き続けて様々なご縁もありました。プージャー(ここでは朝のお祈りを指します)で行うサンカルパ(何のためにそのプージャーをするのかという決意表明的なもの)をコーラムでも行うようになってから私の向き合い方も変わりました。Medha先生のいうサンカルパの重要性も身をもって知ることにもなったのです。
見た目は変わらないかもしれませんが、描いている時の感覚、客観視した時の読解が明らかに変わってきたと感じたコーラムでふ。
例えばですが、アートとして、自分の作品としてだけ行っていたならば、こういう感覚にはならなかったのではないでしょうか。
Medha先生のもとでヴェーダーンタを学び、最初にコーラムを習ったのがレーヴァティさんで、私が見つけたと感じたコーラムの先生がガーヤットリー先生で本当に良かったです。
最後にヴェーダーンタを学んでみたいという方は12月にタットヴァボーダ三日間集中講座がございますのでこちらの記事もご覧くださいませ。